戸澤神社 写真 新庄藩主戸澤家の始祖 戸澤飛彈守衡盛公及び新庄移封当時の藩主 戸澤右京亮政盛公の霊を奉祀するため旧領民が創建した神社で明治27年5月に鎮座創立される。大正3年1月贈従二位戸澤正實公祭神加列を許可され合祀する。同年8月29日県社に列せられ、神饌幣帛料供進神社に指定せられる。

戸澤衡盛公は戸澤家の始祖にして鎮守府将軍 平貞盛の裔正盛の孫である。初め大和国吉野郡尾輪の里に住する。治承元年奥羽岩手滴占荘戸澤郷に転住し始祖したるにより家祖たり。

戸澤右京亮政盛公は中興の英主であり新庄藩祖である。慶長七年仙北郡角館より常州松岡に移封、元和八年十月羽州最上群真室郷鮭延城に転封し、さらに村山郡の内二萬石を加俸し総禄六萬石を賜る。正盛公移封以来武備を整え農工商を督励し、荒無地を開拓し植林及び山林保護の制度を励行し、産馬法を制約し又道路溝渠河川を改修して交通水利を整え、常に士民を撫血し老を養い幼を育し大いに国利明福を増進する。

戸澤神社 写真 戸澤正實公は正盛公より11世の孫で新庄藩最後の英主である。英断を以て藩政を改革し、自ら勤検の範を士民に示し殖産興業の道を指導奨励し、論は教育に意を注ぎ明倫堂を起こして忠孝節義の美風を涵養し、併せて文字を盛んにする。殊に正實の勤王事績に就いては普く人口に勝炙する。彼の明治戊辰戦争に際し率先勤王の大道を首昌し官軍に属し、新庄の小藩を以て奥羽同盟軍の間に孤立し画策大いに努める。然し衆寡敵せず城士族悉く兵硬に罹り灰燼に帰する。城地を捨て一藩挙がって秋田に越え老幼婦女共に遁れる。正實瀋挙げて忠勤を抽んじ、遂に勤王の忠節を完了し、一は以て維新の大業を翼賛し一は以て藩屛たるの任を尽くす。明治41年9月15日特旨を以て従二位を贈られる。

戸澤神社の歴史

明治26年10月旧領民有志謀りて藩主戸澤家始祖 衡盛公、並びに中興の祖 政盛公を祭神とす る戸澤神社を旧城址に創立すべく書策す
明治27年
8月社殿全部落成(10日)
盛大なる祝祭を行う(24日)
大正2年10月主蹭従二位正實公の祭神へ加列の儀をその筋に願い出る(9日)
大正3年1月主蹭従二位正實公の祭神へ加列が許可される(28日)
9月奉告祭を挙げる(12日)
大正4年8月同志相会して昇格申請の事を議しその筋に昇格申請書を提出せり
大正5年8月境内の拡張社殿の改造増築の工事を完成し内務大臣より県社に同時に県より幣帛神饌料供神社に指定される(29日)
大正6年8月奉祝祭を行う(24日)

戸澤神社概要

神社名 新庄最上総鎮守 戸澤神社
社格 六級社 旧県社
鎮座地 山形県新庄市堀端町1-13
主祭神 戸澤飛彈守衡盛(とざわひだのかみひらもり)
戸澤右京亮政盛(とざわうきょうのすけまさもり)
蹭従二位戸澤正實(とざわのまさざね)
例祭 8月24日
本殿 7坪
弊殿 33坪
拝殿 10坪
主要建物 社務所、手水舎、押符殿、土蔵
境内地 3,000坪(39600平方m)
社宝・文献 長柄銚子、正實公油絵、賞典禄写外諸記録、菊花の御旗
氏子・崇敬者数 40,000戸(最上群一円)
宮司 日下 樹一